こんにちは!
【だいすブログ】運営者のだいす(@dice_motosensei)です。
本記事は、だいすの自己紹介記事です。
- だいすの基本情報
- 当サイトについて
- 幼少期~大学時代
- 教員時代
- 転職について
- これからの展望
基本情報
まずはだいすの基本情報から。
- 男
- 33歳
- 既婚
- 静岡生まれ
- 神奈川在住
- 新卒から9年公立小学校教員
- 31歳で退職、エンジニアへ転職
- 趣味は麻雀、パチスロ、リアル脱出ゲーム
- 人生のテーマは「死ぬときに後悔しないように生きる」
当サイトについて
なぜブログを始めたのか
ブログには、ずっと興味はもっていました。
教員時代のノウハウや、教員からの転職、プログラミングについて記事にしたら需要あるかなぁなんてぼんやり考えていました。
でも、特に何もアクションは起こさないまま月日は流れ…
始めようと思ったきっかけは、Twitterかなと思います。
2020年2月から本格的に運用を始めていました。
Twitterにはブロガーさんが本当に多いんですよね。
そして、行動量が圧倒的に多い、いわゆる「すごい人」がいっぱい。
それに感化されたのか、「やろっ!」って思って次の日にはサーバー契約していました。
現在の運営成績(2020/06/13現在)
初投稿は 2020/03/01。
現在の運用実績がコチラ。
記事数 | 35 |
PV |
3月:1255 4月:446 5月:951 |
収益(累計) | うまい棒28本分(Googleアドセンス) |
これからの方向性
これまでは、「教員からの転職」を中心に記事を書いてきました。
今後は、「プログラミング」や「投資」、「ブログ」についても記事を書いていこうと考えています。
「柔軟な生き方」「しばられない働き方」
このあたりをサイトテーマにして、運営していきたいと思っています。
幼少期~大学時代
本章では、生い立ちや学生時代についてまとめました。
幼少期
1987年、静岡で爆誕。
ゆるめの父と、厳しめの母に育てられます。
今は173㎝、55kgのガリガリ体型ですが、幼いころはぷっくり太っていました。
女の子にもよく間違われたようです。
一人っ子でしたが、わがままを言わず手のかからない子だったそう。
何かほしいものがあってもそれをじっと見つめるだけで、「ほしい!ほしい!」とわめくようなことはなかったと。
(おかん、どんだけこわかったんだよ…)
音大卒の母の影響で、5歳からピアノを習い始めます。
中学2年まで9年間習いました。
ここでピアノが弾けるようになったことが、教員時代に役立つことに。
小学校
地元の公立校へ。
お調子者でしたが、やるべきことはやるまじめくん。
- 先生にはよく怒られる
- 毎年、学級委員に選ばれる
- 勉強はできた(だいたい100点)
今考えるとなんともアンバランスな子笑
ピアノ、空手、英会話…と様々な習い事を経験。
やりたいことをほとんどやらせてくれた両親には感謝。
子供会のソフトボールも大好きでした。
休日には、よく父とキャッチボールしました。
中学校
地元の公立校へ。
3年間、部活と勉強の毎日でした。
部活
小学校6年のときにハマった影響で、バスケ部へ。
ものすごく勝ちにこだわるタイプでもなかったですが、練習にはまじめに取り組みました。
そこを評価されたのか、3年生では副部長を任されることに。
勉強
勉強もわりとできた方。
定期考査の学年順位はほとんど1ケタでした(最高1位)。
卒業時の内申点も 44/45点 と申し分ない成績に。
(美的センスがないから美術はどうしても5にならなかった…)
ずっと個人塾に通ってのんびり勉強していましたが、3年の夏に地元の大手塾へ。
勉強のテクニック的な部分を学んだり、競争があったりしたことで成績が爆上がり。
地元の進学校に、内申点と面接のみ(当時は前期試験と呼ばれていた)で合格。
私立のすべり止めを受ける必要がなくなり、親に感謝されました。
高校
当時の静岡県でNo.2の進学校へ。
今調べてみたら、偏差値は67くらいみたいです。
創立100年以上の伝統校。
制服はかなり古風で、バイトも禁止。
その代わり、細かい校則はなく、かなり居心地が良かったことを覚えています。
部活
中学に続いてバスケ部に入部。
ここでも、勝ちにこだわるタイプではなかったです。
が、まじめな性格もあってか、「うまくなりたい」の一心で朝練や練習後の自主練に取り組んでいました。
残念ながら、スタメンに選ばれるほどうまくはなれませんでしたが…。
勉強
勉強もサボることなくやりました。
が、やはりそこは進学校。
まわりのレベルが高く、中学のときほど目立った存在にはなれず。
それでも半分より上にはいられたかな…?
受験
すでに教員になることを心に決めていたので、教育学部がある大学にしぼって受験勉強。
予備校には通わず、ほぼ自力で勉強しました。
無事、関東の国立大学に前期試験で現役合格。
私立大学は、受かったとしても行く気が全くなかったので受験しませんでした。
ここでも、お金がかからなかったことを親に感謝されました。
恋愛
恋愛もしてましたよ。
2年のときに付き合った彼女は長かったです。
大学進学後は神奈川と山梨の遠距離(中距離?)でしたが、大学3年夏までの4年弱付き合いました。
しかし、さすがは遠距離といったところか。
彼女の浮気をきっかけに別れました。
2人の思い出の品を全部送りつけたのは若気の至り(ニッコリ)。
大学
大学進学をきっかけに念願の一人暮らしを始めます。
勉強
相変わらずですが、大学の講義もかなりまじめに受けました。
代返、代筆は1回も使わず、単位は1つも落としていません。
ただ、ここでの学びがどれほど今に生きているかと言われるとあやしいところですが…
一方で、サークルにバイトに遊びにと、良くも悪くも大学生らしい大学生活でした。
バイト
バイトはマクドナルド。
ここで、マネージャーを経験できたのは大きかったです。
20歳そこそこで、人を動かしたり責任をもったりする経験ができたから。
今考えると、教員時代の学級経営にも生かされたかな…?
遊び
マクドナルドの先輩たちからは、多くの遊びも教わりました。
- 麻雀
- ダーツ
- パチスロ
- ビリヤード
麻雀とパチスロは、今でも趣味になっていますね。
ダーツは当時、狂ったようにやってました。
機械にカードを差し込んでプレイすることで、結果を記録したり自分のレベルを確認できたりするんですよね。
そのレベルを上げたくて、うまくなりたくて、夜な夜な投げまくってました。
結果、カウントアップで1000点とれるほどにまで上達。
(4/5でブル(真ん中)にささるくらい)
教員採用試験
教員一筋だったので、就活はしませんでした。
4年生の4月から、教員採用試験のために猛勉強を始めます。
当時は倍率が低いこともあって、無事に現役合格。
恋愛
恋愛もしてましたよ。
3年の終わりから付き合ったのはディズニー好きの子。
僕もディズニーは好きだったので、よく一緒に行きました(月1くらい?)。
初めて年間パスポートを買ったり、ディズニーランドホテルに3連泊したりと、かなり満喫しました。
大学時代は、今思えばもっと自己投資に時間を使えばよかったなと少し後悔しています。
「働くとは」「お金とは」みたいなことをもっと考えていれば、少しは過ごし方が変わって………ないか笑
教員時代
さぁ、ここからが僕にとっての苦しい時期の始まりです笑
本章では、僕の教員時代をダイジェスト的に紹介します。
そもそも教員を目指した理由
きっかけは小学校6年の担任。
歳も若く、すごく親しみやすい大好きな先生でした。
中学に進学して将来のことを真剣に考えたとき、「あんな先生になりたいな」って思ったんですよね。
そこから、教員目指してまっしぐらでした。
ちなみにその先生とは、今でも年賀状でやりとりしています。
1年目 ~充実した1年~
3年生担任。
結論から言えば、とても楽しい1年でした。
- 子供と馬が合う
- 学年の先生が手厚くサポート
- やりたいことをやりたいようにできる
初任の先生が精神的に病んでしまうことが多い中で、僕は恵まれていたと思います。
その代わり、教材研究とか学級経営の工夫はあまりしてなかったです。
退勤も、多分教員時代で一番早かったと思います。
若さとエネルギーだけで子供と関係を作っていた感じですね。
2年目 ~昨年度とのギャップに苦しむ~
2年生担任。
1年目と変わって、ちょっと重たい学年。
ほとんど困ることのなかった1年目と比べ、児童指導上で困ることが多かったです。
学年の先生のサポートもあり、大きな問題になることはなかったですが。
「知識や技術が必要だな」と思った1年でした。
3年目 ~学級経営に目覚める~
5年生担任。
初任でもった学年(希望が通った)。
クラス替えがあるとはいえ、やはり学年的に馬が合う。
特に困ったこともなく、楽しく過ごせた1年でした。
「特別活動」の公開授業研究をしたことをきっかけに、この頃から学級経営の知識や技術をみがき始めます。
研究会に足しげく通ったり、休日を使ってTOSSのセミナーに通ったりしました。
のちに、学級経営のスキルは自分の武器となります。
4年目 ~教員時代のピーク~
6年生担任。
初任でもち、昨年度からのもちあがり(希望が通った)。
どうしても卒業生として担任したかったので、念願が叶って本当に嬉しかったです。
受け持ったクラスは、史上最高。
後にも先にも、このときのクラスを超えるクラスはないです。
明るく、熱量が高い子が多い。
打てば響くから、指導のしがいもありました。
6年担任なので、正直やることが多くて大変な1年ではありました。
が、どれもいい思い出です。
卒業式のときの光景は今でも目に焼き付いています。
ボロボロ泣きました。
卒業のときにもらったとある子のメッセージは、僕の教員時代を支えてくれました。
5年目 ~昨年度とのギャップに苦しむ その2~
5年生担任。
2年目でもった学年。
あの重たい学年です。
この年のクラスには、いわゆる「キレちゃう」子が2人いてそれはそれは大変でした。
ありがたかったのは、学年の先生に恵まれたこと。
組んだ2人は非常に力のある先生だし、たくさんサポートもしてもらいました。
「1年契約だから、なんとか頑張ろう!」と励まし合いながら乗り切りました。
6年目 ~初の学年主任~
6年生担任(学年主任)。
2年目でもち、昨年度からのもちあがり。
1年契約のはずだったのに…
学年的にもちあがる人はどうしても必要。
でも、あとの2人はかなり精神的にまいっちゃっている。
ということで、僕が肩をたたかれました。
しかも、「学年主任になったつもりでやります」と言ったのを「学年主任やります」と勝手に変換されたようで、主任まで務めることに。
任されたからにはしっかりやろうと頑張りました。
ハイパー残業した1年です。
この年も、学年の先生に恵まれました。
2人とも年上のお姉さん先生だったんですが、明るいし冗談が通じるし、めちゃくちゃ面白い。
職員室ではほっとできましたね。
今でも1年に1回は集まって飲んでいます。
7年目 ~中堅であることを実感~
4年生担任(学年主任)。
7年目にして、ようやく3世代目(?)をうけもつことに。
この年に組んだのは、なんと初任と2年目の先生。
子供が落ち着いている学年とはいえ、よく任せてくれたなと。
さらに、初めての教育実習生の指導教官も。
29歳にして、3人の娘の指導係となりました笑
初任校だし、まだまだ若手のつもりでいたけど、もうすっかり中堅なんだと実感した1年でした。
8年目 ~初の異動~
3年生担任(学年主任)。
組んだのは臨任の先生。
初めての異動を経験。
全学年2クラスの、ひとまわり小さい学校へ。
「学校が変わると、違う国に行く感じだよ」
と、先輩先生方に聞かされてはいましたが、本当にその通りでした。
行事、仕事の進め方、地域との関係、根付いている文化…
何もかもが違って、まるで初任の気分でした。
ちなみに、うけもったのは重たい学年。
発達上の課題をもつ子が、かなり多い学年でした。
9年目 ~ラストイヤー~
4年生担任(学年主任)。
組んだのは臨任の先生。
昨年度の2月には退職を決意していたので、最後と分かっている1年でした。
昨年度からのもちあがり。
重たい学年です。
中でも、いわゆる「キレちゃう」子の担任になり、相当に苦労しました。
ゴールデンウィーク明けには軽いノイローゼ状態になり、かなり辛かったです。
(最後の年と分かっていたので余計に)
我ながら、よく休まずに学校に通ったなと思います。
まわりの先生のサポートもあって、なんとか1年を乗り切り、僕の教員人生は幕を閉じます。
転職について
中学生の頃から志し、大学受験を経て、9年間も教員として働いてきました。
そんな教員を辞め、転職にいたるまでの経緯を紹介します。
教員は続けられない
こう思い始めたのが、4年目くらいの頃です。
理由は以下の通り。
- 激務が辛い
- 将来のキャリアビジョンが描けない
- 「そんなに子供が好きじゃないかも…?」と思い始めた
詳しくは以下の記事をご覧ください。
いろいろともがく
とはいえ、すぐに転職に動けたわけでもありません。
環境を変えようと、様々なことにトライしました。
転職するまでずいぶん遠回りした。
学校事務を目指してみたり、別の自治体を受験してみたり…
でも「学校」という枠から飛び出したら一気に世界が広がった。
「ここだ!」と思える場所を見つけられた。
転職に悩んでるあなたも、見えない何かに縛られているだけかもよ?
— だいす🎲@元先生エンジニア初心者ブロガー (@dice_motosensei) March 26, 2020
学級事務を目指してみたり
4年目の頃にこの道を考えました。
同じ学校で働いている事務の先生の働き方いいなって思ったからです。
公務員試験の参考書も一通りそろえ、ちょっと勉強もし始めました。
しかし長くは続きませんでした。
- とにかく試験範囲が膨大。教員の仕事と並行してやるのがキツイ
- 父に「学校事務になって、将来どうなりたいのか」と問われ答えに困る
考えが浅かったんですね。
隣の自治体の交換制度に応募してみたり
僕の働いていた自治体では、トレードできる制度がありました。
環境を変えてみようと、応募、面接も受けました。
しかし、結果は不合格。
別の自治体を受験してみたり
交換がダメなら、直接受験しよう。
そう思い、現職教員枠でチャレンジ。
しかし、結果は不合格。
なぜエンジニアなのか
ことごとくチャレンジに失敗した僕が、最終的にエンジニア転職を選んだ理由とは。
きっかけは、妻に付き合って行ったテックキャンプ(プログラミングスクール)の無料体験会です。
「プログラミング、おもしろい!」
もともと理系だったので、論理的に作り上げていくプロセスが楽しかったんですよね。
その後、いろいろと考えるようになりました。
- プログラミングスキルを高めたいな
- 「楽しい」「おもしろい」を仕事にできたらいいな
- プログラミングは社会のニーズがあるスキルだよな
- エンジニア不足と言われているくらいだから、需要があるかもな
「好き」と「市場価値の向上」がちょうど重なってることに気付いたんですね。
しかも、当時の転職市場は売り手市場。
完全に追い風だと思いました。
このあたりの話は、下記記事で詳しく書いています。
プログラミングスクール時代
というわけで、エンジニア転職を目指したわけですが、
と思い、プログラミングスクールに通うことにしました。
久しぶりに、「学びたいことを、思いっきり学びたい」とも思っていたので。
いくつかの候補の中から、最終的に選んだスクールはテックキャンプ(旧名:テックエキスパート)です。
なぜこのスクールを選んだか、一言でいうと「結果にコミットしてくれると感じたから」。
詳しく知りたい方は、だいすがテックキャンプを選んだ理由をご覧ください。
スクールでは、2019/04/13 から 2019/06/21 までの10週間で600時間以上学習しました。
渋谷の教室に通える距離に住んでいたので、週6で通学。
もうホントに朝から晩までMacとにらめっこしてましたよ笑
ちなみに、テックキャンプで学んだ技術は以下の通りです。
- HTML/CSS
- Haml
- Sass
- JavaScript
- jQuery
- Ruby
- Ruby on Rails
- SQL
- Git
- AWS
フロントエンド(見てくれのデザイン)からバックエンド(内部のプログラミング)まで一通りの技術を学び、簡単なWebアプリケーションならイチから作成することができるようになりました。
全くの初心者から始めたので、結構感動ものでしたね。
テックキャンプのレビューは、下記記事でまとめています。
興味がある方は読んでみてください。
>>【評判が知りたいあなたへ】テックキャンプ卒業生が忖度なしでレビューしてみた
転職活動
無事にスクールの課題をすべて終え、卒業後から本格的に転職活動を始めました。
テックキャンプでは転職支援も行ってくれます。
キャリアアドバイザーとのキャリア面談、希望に沿った求人紹介、技術質問対策、履歴書添削等、かなり様々なサポートを受けることができます。
また、未経験でも採用しようという企業が教室を訪れ、企業説明会も行ってくれます。
そこで興味をもてば、面談につなげてもらうこともできます。[引用:だいすブログ テックキャンプ卒業生が忖度なしでレビューしてみた]
なので、スクール経由で多くの求人に応募しました。
併せて、エンジニア転職に強いエージェント(ワークポート)や転職サイト(Wantedly,Green)も利用し、応募総数は全部で21社でした。
結果的に1社内定をいただけたので良かったのですが、今思えば21社応募は少なすぎました。
というのも、30代ということもあって書類が全然通らないんです。
つまり、会うことすらできないことがほとんどなんですよ。
下記記事で、僕の転職活動の詳しい結果を公開しているので、これから転職活動をされる方はぜひ参考にしてみてください。
>>【書類通過率は?内定数は?】教員からの転職 総まとめ! ~元教員×30代×未経験~
これからの展望
人生のテーマ
それは、ズバリこちら。
死ぬときに後悔しないように生きる
「90年の人生を振り返って唯一後悔していることはなんですか?」
アメリカでのアンケートですが、なんと90%が同じ回答。
それは…
…
『もっと冒険しておけばよかった』
このまま生きていて、あなたは死ぬ間際にどう思うでしょう?
死ぬときに後悔しない人生にしたいですね😌
— だいす🎲@元先生エンジニア初心者ブロガー (@dice_motosensei) May 6, 2020
これは僕の肌感覚ですが、おそらく多くの人が最期を迎えるときに「~すればよかった」と後悔することが多いのではないかと思います。
そうならないよう、「あぁ~楽しかった!」と言って死ねるようにすることが、僕のテーマです。
本業
それを踏まえると、1つの仕事にこだわる必要は全くないと思っています。
勝算があるなら、様々な仕事にどんどんチャレンジしていきたい。
ただ、ひとまず今は転職したばかりなので、まずは今の会社にコミットできるように腕をみがきます。
副業
収入源を複数もつことにメリットは多いです。
- 精神的に健康
- 会社にしがみつく必要がない
- 新たなチャンレジがしやすい環境
当面、ブログと資産運用を副業収入の柱にしていきます。
ブログ
収入源が複数ある人は強いですよね。
投資のときのリスクヘッジとして「分散」は基本なんだけど、そういう意味では収入源が本業一本って超リスキー😱
ブログで成果出して、需要のあるスキルを磨いて、複業としてやっていくのが当面の目標です😌
— だいす🎲@元先生エンジニア初心者ブロガー (@dice_motosensei) June 3, 2020
ブログをやることで、マーケティングやライティングのスキルが副産物として身に付きます。
ブログで一定の成果を出すことさえできれば、波及的に仕事の幅が広がります。
資産運用
僕の投資経験はこんな感じです。
2018年~ iDeCo
2019年~ 株式投資
2020年~ ソーシャルレンディング
長い目で見ながら、これからもお金にはしっかり働いてもらいます。
おわりに
長文をご覧くださり、ありがとうございました。
これからも読者のみなさんの役に立つ記事作りに励みます。